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聖母の騎士小神学校

小神学校の思い出

ロムアルド・ムロジンスキ(Romuald Mroziński )修道士

 コルベ神父さまが日本に来られたのは、無原罪の聖母の騎士誌の発行による布教が第一の目的でしたが、同時に日本人の会員を育て、ご自分の仕事を続けさせるために小神学校を始めることも考えておられました。騎士誌は神父さまの来日後一ヶ月で創刊号が発行され(1930年5月)、神父さまが日本を去られる1936(昭和11)年には六万五千部もの発行部数になっていました。
 しかし小神学校は、騎士誌のようには早くできませんでした。コルベ神父さまは雑誌の仕事が忙しく、他にはまだ小神学生の指導ができる会員がいなかったからです。でもミエチェスラオ・ミロハナ(Antoni Mieczysław Mirochna)神父さまが日本で司祭に叙階されてからは、小神学校の問題が具体化し、1935(昭和10)年の終り頃から翌年の一月にかけて当時の長崎教区長ヤヌワリオ早坂久之助司教さまの許可のもと、長崎市内、五島、平戸の各方面から生徒を募集しました。小神学校の校舎が建ったのが1936(昭和11)年、初めは誰も住んでいませんでしたが、同じ年の四月に十九名の神学生志願者が集まりました。修道院では全員小神学生のために熱心にお祈りしました。そしてやっと、マリアさまの祝福のもと、日本における小神学校の歴史が始まったのです。

 1936(昭和11)年5月、小神学校の入学式が荘厳なごミサと共に行なわれました。コルベ神父さまを小神学校の校長とし、わたしロムアルドを校長の助手・舎監とすると言われました。同年同月、コルベ神父さまはクラクフの管区会議のためにポーランドへ帰られましたが、わたしたちは修道院と小神学校の全員で長崎港まで見送りに行きました。神父さまは船上からわたしたちを祝福されましたが、後でいただいた神父さまからの手紙によると、もう日本を見るのは最後だと思い、涙が出たということでした。

 小神学校の創立は、コルベ神父さまの日本での最後の仕事になりましたが、わたしにとっては、それが小神学校の舎監としての長い生活の始まりとなりました。舎監としてのわたしの務めは、小神学生たちと共に祈り、食事をし、休み、すべてについて彼らの身心両面にわたる成長の手助けをすることです。日本を去る前にコルベ神父さまは度々小神学校に来られ、わたしに「何か心配はないか、言葉に不自由はしないか、学生たちの言うことがよく判るか」など尋ねられ、勇気づけられました。

 神学校が始まって二年目にも生徒募集をし、合わせて四十名ほどになりました。その翌年以降も毎年募集しましたので、小神学生は増えていきましたが、ミロハナ神父さまが修道院長として忙しくなってからは、わたし自身が五島や平戸の各地をまわって募集をしました。

 やがて始まった第二次世界大戦は、長崎のわたしたちにも大きな試練となりました。聖母の騎士誌は1940(昭和15)年11月に発行中止となり、小神学校も1943(昭和18)年3月に閉鎖され、小神学生たちは翌月から長崎市内の私立東陵中学校に通うことになったのです。そして程なく、戦争の激化に伴って神学生たちも徴用され、三菱造船所で働くことになりました。長崎県庁外事課からは、小神学生たちを自宅に帰すよう再三言われましたが、責任者としてのミロハナ神父はそれを断固として拒否しました。県当局は神父さまのその態度を見て、新た修練者七名を徴用し、佐世保へ派遣しました。こんな事態になって、修道院も小神学校も全員心を一つにして聖母のお取り次ぎをお願いし、ミロハナ神父さまも各方面にできるだけの手を尽くされました。お蔭でこの七名の修練者たちは、1942(昭和17)年12月8日(火)、聖母のけがれなき御宿りに初誓願を立てることができたのです。

 第二次世界大戦終了と共に、小神学校は発展期を迎えました。1947(昭和22)年1月から聖母の騎士誌も再刊の準備に取りかかり、発刊できました。小神学生募集は戦争中も続いていましたが、戦後はサムエル・ローゼンバイゲル(Kazzimierz Sammuel Rosenbaiger)神父さまがアメリカから送ってくださる援助金のお蔭で校舎を新築し、生徒募集も人数に制限をつけずに行ないましたので、最も多い時は小神学生だけで百二十名になったこともあります。

 この頃の校長はドナト・ゴシチンスキ(Aleksander Donat Gościński)神父さまで、厳しい方でしたが、皆は必死で頑張りました。毎月のけがれなき聖母の騎士会の集会でも活発な意見が出され、例えば祝日前のノヴェナを決めるとか、犠牲としてお茶を飲まず、まくらを使わないようにするとかの提案が出たものですが、ドナト神父さまは小神学生たちの健康を考え、精神的な面にもっと重点を置くように賢明な指導をされました。

 こんなことも覚えています。或る年の6月、聖心の月に皆で小さな犠牲をささげる決心をし、聖堂の入口に置いた藁切れを、行なった犠牲の数だけ小箱に入れることにしました。その月の終りに藁を数えてみると、何と七万七千本もあったのです。その他にも当時の小神学生たちはよく聖体訪問をしていました。日曜で散歩のない日には、十字架の道行をする生徒の姿をよく見かけたものです。

 時代が代わって、アンゼロ明松尊吉神父さまが校長をなさっていた頃、小神学校は大きな十字架に見舞われました。火事です。これについては詳しく書きませんが、聖ヨセフに特別にお祈りし、色いろ調べた結果、その原因ははっきりしました。これはわたしにとって最も悲しい想い出でした。

 こうして、わたしはコルベ神父さまによって小神学校の舎監に任じられてから二十九年の歳月が過ぎていきました。わたしの日本滞在はすでに五十年以上になりますが、神と聖母への感謝の気持ちで過去を振り返る時、小神学校で過ごした期間が最高の想い出として胸に迫ってきます。
 小神学校の創立者であるコルベ神父さまの精神と熱意がいつまでも保たれ、ますます発展するよう心からお祈りいたします。

引用:綜林No.37(1984年6月夏季号 初稿)
ロムアルド・ムロジンスキ(Romuald Mroziński )修道士

 
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