マリアが「神の母」であるとは何を意味するのか③
キリスト者にとって「マリアが神の母である」とは何を意味するのか
~「神化」における「聖霊の働き」と「マリアの働き」の関係についての一考察~
ミカエル外山祈神学生

Ⅱ-3、エフェソス公会議の決定と「合同信条」採択、そしてその後
ネストリウスとキュリロスの議論はエフェソス公会議(433年)にまでもつれ込んだ。エフェソス公会議においてはキュリロスの意見がほぼ全面的に採用され、ネストリウスは破門され職位を剥奪される※7。エフェソス公会議から2年後、皇帝テオドシウス2世は「合同信条」を発布した。この信条はネストリウスと親密であったシリアの司教らとアレキサンドリアのキュリロスとの和解という意味合いも持っている。その為、この信条は一部にアンティオキア学派の神学的表現が入ってはいるものの、全体としてはキュリロスのキリスト論が採用され、またマリアを「神の母」と呼ぶべきことが明確に宣言されている※8。キュリロスに率いられたアレキサンドリア学派のキリスト論とマリアを「神の母」とするマリア論が勝利を収めたのである。
エフェソス公会議の特徴とは、ロゴスにおける神人両本性の存在論的な一致合一を主張したキュリロスのキリスト論が採用されたということだろう。既にグノーシス主義との長年の戦いを通してイエスが「真に人である」事は信仰の確信となっていた。ニカイア公会議はこれに加えてイエスが父なる神と「同一本質」である事を宣言し、これによってイエスにおける神人両本性の両存を明らかにしたのである。しかし神性と人性は互いにどのように関わり合っているのだろうか。これがニカイア公会議以降の神学的課題であった。この問題は、最終的にはカルケドン公会議で採択された「位格的結合」の教理によって決着を見るが、エフェソス公会議はカルケドン公会議の定式に繋がる「基礎」を据えたと言えるだろう。
このようにエフェソス公会議は教会史的にも教理史的にも極めて重要な公会議ではあったが、そのキリスト論は(根底においては「属性の効用」を巡る救済論的関心があったとはいえ)極めて抽象的な存在論的次元において展開されたものであった。そして正にこの議論の延長線上に現れたものとして「神の母」という概念があるのである。そうである以上、ここで言われた「神の母」という信仰内容も、この公会議のキリスト論と同様、それ自体としては高度に抽象的かつ存在論的な概念であり、それをキリスト者の実存的な生の領域に関わるものとする為にはもう1歩踏み込んだ理解が必要である。そして私見は、その為のヒントが、「位格的結合」というカルケドン公会議の抽象的なキリスト論を人間論的・実存的に理解する地平を拓いた第3コンスタンティノープル公会議、特に同公会議に知的貢献をなした諸聖者マクシモスのキリスト論にあると考えるのである。
※7DS264を参照。
※8DS271、272を参照。
