アシジの聖フランシスコと味わう主日のみことば〈年間第5主日〉
恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる(ルカ5・10)

ルカ福音書によれば、イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受け、荒野での誘惑を耐え忍んだ後、しばらく一人で宣教活動をしていました。イエスは「諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられていた」(ルカ4・14)一方で、故郷のナザレでは人々の反感に出会い、心理的に拒否されるという体験(同4・16-30参照)をしています。
イエスは病人をいやし、悪霊を追い出すということを行いましたが、それは、イエスという存在をとおして神の力が働き、今まさに《神の国》がここに実現しているということを世に顕わす《しるし》でした。多くの人々は、そのようなイエスを熱狂的に迎えました。「群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分達から離れていかないようにと、しきりに引き止めた」(同4・42)と福音書は書いています。
しかしイエスのまなざしはさらなる地平を見つめています。「他の町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」(同4・43)。イエスの眼前には、おびただしい数の人々―それも《神の言葉》による魂の癒しを必要としている人々の群れが見えていたのです。
そこでイエスは、この《神の言葉》をそれに飢え渇いている人々に届けるために、ご自分一人だけではなく、その協力者を持とうと思われました。それが、今日の福音(同5・1-11)の箇所です。イエスが目をつけたのは、漁師たちです。漁師は人々の日々の糧となる魚を、夜暗いうちに漁に出て獲ってこなければならない大変な仕事です。ところが、その日は、生憎と全くの不漁だったようです。
そこでイエスは、彼らに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(同5・4)と声をかけます。おそらく経験豊かな彼らは、日が昇った時刻に漁をしたところで、魚が捕れるわけがないと思ったかもしれません。しかし、シモン(後にペトロと改名される)は思い直して「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(同5・5)と仲間と共に再び漁に出ました。するとどうでしょう、「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」(同5・6)のです。
この状況を前に、シモン・ペトロは驚きを通り越して、恐ろしくなりました。「自分が今目の前にしているこのイエスという方は、まったく人間の理性を超えた神的な力を帯びておられる」と、イエスの帯びている神の力に対する《畏敬》に打たれてしまいました。
ペトロは、イエスを前にしてその足許にひれ伏し「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(同5・8)と言います。ペトロからすれば、これは精一杯のへりくだった心からの叫びであったでしょう。しかし、イエスにとって、ペトロの《罪深さ》など何の問題もありません。イエスは自分が選び、望んでいる人物がどのような者かすべてご存知です。そのイエスが、言います。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(同5・8)。
この言葉は、どれほど、ペトロやその仲間たちの心を鋭く射貫いたことでしょうか。それは、彼らが「舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(同5・11)というほどに、強烈で抗しがたい《招き》として、彼らに受け取られたのです。
このイエスの《招き》は、今日、この福音を受け取っている《わたしたち》にも向けられたものであることに注意したいと思います。イエスは、現代の社会でおびただしい数の人々が《神の言葉》に飢え渇いている状況を、2000年前と同様に見ておられます。そのために、わたしたちを《み言葉》の《漁》にでるよう、ご自分の協力者となるよう、招きの声を響かせているのです。
アシジの聖フランシスコは、自分がイエスからペトロたちと同じ《招き》を受けていることを祈りの内に理解しました。彼と彼の兄弟たちは自分たちに与えられた力に相応しい方法で、この《み言葉》の《漁》に出て行ったのです。
「愛する兄弟たちよ、神が我々をお呼びになったのは、我々を救われるためだけではないということが私にはわかっている。そこで、神のみ言葉と高徳の生活を媒介として、諸民族のために働き、倒れかかっている世界に助けをもたらそうではないか」。聖職者でもなく無学であった彼らは、不安でおどおどしていました。しかし聖人が、神に信頼を置くように、そして聖霊に従順に身を委ねるようにと、彼らを鼓舞したのでした。
彼らがなすべきことは、ただ単に、問われたことに対しては謙虚に答えながら、人々に平和と回心を告げ、侮辱を耐え忍び、無礼を受けても常に穏やかで感謝に満ちた態度でいることでした。こうして彼らは二人ずつ、あちらこちらに出かけていったのでした。(Ⅰチェラノ29、三人の伴侶36)※1
※1ラザロ・イリアルテ『聖フランシスコと聖クララの理想』大野幹夫訳、聖母の騎士社、2010年、568頁。
